2017年12月05日

海の王国 ジョーン・エイキン

海の王国
海の王国

タイトルからなんとなく手に取って、中身をパラパラと見るにヤン・ピアンコフスキーの影絵の様な、切り絵のおうなシルエットのみで表した絵に惹かれて、次に文章をざっと眺めたらスラヴ民話っぽい。

後書きなどを見るにロシア,バルカン諸国の昔話をイギリスの児童文学作家が再話したものとのこと。

>海の王国 - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b255343.html

スラヴ民話に出てくる民俗の存在って、この本にも掲載されてるバーバ・ヤーガとかの他はメガテンで覚えたベロボーグ 、チェルノボグ、トリグラフ3神とか、ルサルカとかしかパッとは出てこないなと思って読んでみた。

組曲《展覧会の絵》: 鶏の足の上に立つバーバ・ヤーガの小屋
組曲《展覧会の絵》: 鶏の足の上に立つバーバ・ヤーガの小屋

ドヴォルザーク:歌劇《ルサルカ》パリ・オペラ座2002年 [DVD]
ドヴォルザーク:歌劇《ルサルカ》パリ・オペラ座2002年 [DVD]

11編しかなく、海の話も最初のだけで、でてくるのは主に太陽神らしきもの多い。

夜明けの乙女ゾラ・ジュヴォイカとは多分にゾリャー(Zorya)の事だろうオーロラの神格化されたものらしい
https://en.wikipedia.org/wiki/Zorya

太陽神ダジボーグ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B8%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0

太陽の育ての親、沼の魔女モコシュ(地母神)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B3%E3%82%B7

他に出て来た天使ガブリエルや、聖ペテロと共に出てきている「神」は当然キリスト教の神だ。

読んで先ず思ったのがアラビアンナイトの影響である。
アラビアンナイトの原型成立が9世紀。
キエフ大公ウラジーミル1世が作らせた6体の神像の中にダジボーグやモコシュがあり、ウラジーミル1世の即位が978年なので、超ザックリだがアラビアンナイトの大元の方が100年近くは早い。
となると・・・伝播して現地の話にアレンジされたと考える方が普通かなと。
ジョーゼフ・キャンベルの比較神話学だと、遠く離れた所の話が何故か似てる!これは人間の根源がうんちゃらだのって説だけど、如何考えたって伝播が殆どだろって位に人間の移動力なめんなと、こういう事例を見つける度に思う。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アラビアンナイトの影響が顕著なのが「王子様の嫁探し」で、王子が苦労して探したのに好奇心からバカな事を繰り返してしまうのは、現代の子供だろうが、昔の大人だろうが、其処で「あーあ。バカだね。」って思わせる効果は時代を経ても同じなのだろうなあと感慨深い。

浦島太郎が玉手箱をあけてしまう行為とかも、影響があるのではなかろうか?

とはいうものの、昔話をそのまま収録してくれた方がそういう意味での価値は高いのだが、再話と呼ばせた改竄が酷い様子なのも多い。

1話目の「海の王国」は
アラビアンナイトによく出てくる貧乏漁師と、
浦島太郎の竜宮城と、
真面目に勤めを果たしていた奥さんが報われる話
という構成は、多分にラストは特に作者が付け足した感が凄い。

ここで私が思い出すのはグリム童話の「漁師とおかみ」なのだが
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/05/24.htm
多分にジョーン・エイキンは、おかみさんがそういう役回りだったのが「個人的に不満」だったのだろう(苦笑)

話というものは昔の原型に遡るほど、教訓めいたラストとかはなくて、
割と変わった内容を伝えるのが主体&投げっぱなしエンドも多いものだ。
なので改竄が何処でされてるかとかは割と解り易い。

伝播とアレンジといえば、「ババ・ヤガーの娘」という話は
継母と二人の姉にいじめられる末娘。となるともうお分かりですねという感じだし、
その娘が夜、外に出て火をかりてくる話からは、大歳の火を思い出した。
イギリスの「ジャックと豆の木」に加え、グリム童話の「親指小僧」「怪鳥グライフ」などからこまごまと引っ張ってきた後に、
「ヘンゼルとグレーテル」とは別のテクニックでババヤガをかまどの中に放り込むのだが、このババヤガは強くて更に追ってくる!
ここで、出て来たのが呪的逃走だ!
日本では「三枚のお札」や、イザナギがヨモツシコメやヨモツイクサに追われて髪飾りや櫛を投げるって話があるが、
ババヤガ相手には
・ブラシを投げたら藪になる
・櫛を投げたら樫の林になる
・金糸銀糸の布を投げたら沼になって、ババヤガは其処でみえなくなる。
というスタイルだった。

「三枚のお札」の相手は山姥で、
トイレの中で小僧の代わりに代返をする札の後は、
追っかけてきた山姥を阻む為に、河になったり、火の山になったりするが、
別パターンだと砂山になって登ろうとすると崩れてなかなか登れないという表現がある。

この本が1971年のものなので、
これはどこまではスラヴに伝わっていた話なのか?
何をどこから引っ張って来たのか?
とかを故人になる前に作者には残しておいてほしかった気分だが、
もうこうなってしまうと昔話を読んでいるというよりも、創作童話を読んでいるって感じに切り替えた方が良いと思ったのでそうした。

だってゾウまで出てきちまう話まであるんだもの。

さいごの「がちょう番のむすめ」というのは、タイトルだけみて「あー。ここでもグリムか…」って思ったんだけど。

初版グリム童話集(4) (白水uブックス 167)
初版グリム童話集(4) (白水uブックス 167)

意外や意外、笑い小話だった!
しかも、神様とか聖ペテロをネタにした内容という。

逆にコレを読んでまた俺はグリム童話の「漁師とおかみ」を想起した。

あまりに短い話なのでネタバレというか、あらすじを書いてしまうと。

聖ペテロが短時間でも神様やってみたいなーと神に言う。
じゃ、今から半日交代ね!と神様。
ガチョウ番の娘が祭に出掛けようとガチョウをホッタラカシにするのを見るペテロ。
ペテロが、お前が面倒みない間は誰がガチョウをみるんだ?と娘に聴く。
娘は「私の代わりに神様が番をするんだよ」(多分に運任せという意味)
神様は祭に出かけるが留守番させられるペテロ。
ペテロは神様になりたいとは二度と言わなかった。

これ、洒落てる!
軽い教訓話でもあり、神様が任せた!って言ったのが祭の当日だったって事は思し召しというか、むしろ「計画通り」な罠にはめた状態じゃねえかWWW

この人は短編創作の方が向いてるんだろうな。

既にこの本は絶版状態なわけだけど、今でも在庫がある「しずくの首飾り」についてちょっと調べたら、教科書で読んだことがある「三人の旅人たち」は当然に俺も知ってたわ!
砂漠の過疎駅の駅員3人がそれぞれ旅に出て土産話をきかせる話。
あれを書いたのがエイキンだったのか。物語の概要は覚えてるが流石に作者名とかは忘却の彼方だったよ。

しずくの首飾り (岩波ものがたりの本)
しずくの首飾り (岩波ものがたりの本)

posted by wolf_howling at 06:36 | Comment(0) | 児童書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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