2018年04月18日

ゲド戦記 3 さいはての島へ



ジジイになってきたせいで裸眼の視力だと文庫サイズはキツイ。




ところが、児童版のはこの巻ではアーキペラゴの地図が有用なのに、機能美と装飾の区別がつかない自称デザイナーみたいなのが装丁したせいか、見返しで薄い緑色という可読性を全く考えてない色味で印刷されている。




しかも地図中央近くにあるロークが重要なのに、のどの折り目に入ってしまって見えない状態でも平気で印刷して世に出してる。

本を出している作者も編集者も自称デザイナーも実際にこの本を読んでると思えない酷さだ。


その点では多少マシなのでソフトカバー版を選んだのだが、

こっちも私が手にした2006年初版では、p.319に「ケド」とか誤植してて校閲してねえなと。


2006と言えばジブリのパヤオ七光りクソアニメが公開された年なので、その時にこのソフトカバー版は出したんだろうけど、まあお互い出来は酷いもんだな。




ジブリのは、この3巻が話の中心なんだけど改悪だらけのクソアニメは「西の善き魔女」と仇名された原作者アーシュラ・K・ル=グウィンの「怒りと失望」を招いた事が公式に公開されている。


>Gedo Senki



>ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメント全文



原作でアレンは功績のある先祖に対してコンプレックスがある若者ではあるけども、

父殺しって余計なことを吹き込んだ毒蛇はPの鈴木。


パヤオの辞める辞める詐欺の繰り返しも酷いが、監督辞めたので息子にって嘘をル=グウィンに伝えたサタンもどうせPの鈴木。


結局、 ゲド戦記を映画化しようとしてル=グウィンに断られて仕方なくアニメージュでパヤオが連載してたナウシカを原作として映画にすることにして、パヤオの古巣だったテレコムに断られたのでトップクラフトが引き受けて、

ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)
ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)

ナウシカがヒットしたらトップクラフトが改組されてジブリになったわけで、トップクラフトの経営者で大作主義に反対してジブリを抜けた原徹が如何に経営者としてマトモだったかって証拠。


金集めをする為に手段を択ばず、棒読み役者の起用だのしてジブリ作品をダメにした上にジブリを潰した元凶は経緯全てを遡って客観的に見るに鈴木って事だろ。



普通に物語をおっかけて感想かいてもつまんないので、そういう深読み勘繰りで小説側も制作背景みたいなのを妄想してみようか。


指輪物語やナルニア国物語など、以前に書かれたものを掘り起こす形でのアメリカのファンタジーブームってのが1960年代半ば以降にあって、「ガンダルフを大統領に! Gandalf for President!」といったスローガンまで現れることになったわけだが、多分にその背景にはベトナム戦争とアメリカの衰退があり、不安な社会情勢からの現実逃避という背景がアメリカのファンタジーブームがあったのだろうと俺は思ってる。




そのタイミングでSF作家のル=グウィンが1968年に出したA Wizard of Earthseaで、それまでの魔法は作家の御都合で滅茶苦茶だったものを才能の見出し方や教育、焦点具としての杖、真の名など、今読めば大差ない同程度のガバガバ設定にせよ、当時からしたらちょっとそれっぽく整理されてるアイディアからヒットしたのだろうと思う。




呪文の難易度とかそれっぽいのはあるけど、D&D以降の作品のようにレベル立てて整理したりはしてないからね。


ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズ・ハンドブック第5版
ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズ・ハンドブック第5版

また、アースシーという世界観は構築したものの、多分に元々、風呂敷を広げていくつもりはなかったんだろうなと思う。


というのは割と2巻、3巻の舞台配置が2巻は地図の右側の真ん中辺から少し下の移動なのと、ゲドにはさしてフォーカスが当たってないし。




3巻は意味もなく南に回って西に移動して北に上がって東に戻るという、全く非合理的な経路からして「とりあえず地名とか出したから使っとくか!」的な雑な感じが凄くする。直線に近い往復を何故しない!


で。この巻でゲド戦記3部作オシマイ!って読み方でもそれはそれで良い位だと思う。


なんだけど十数年後の1990年に急に4巻目Tehanu, The Last Book of Earthseaが出る。




コレが出るまでは映画やテレビや舞台の仕事をしてたみたいだけど、多分に食ってく為には続編新作って流れ何だろうと思う。過去資産だけで食いつなげる訳でもなく。


で「The Last Book 最後の書」だったのに、2001年にThe Other WindとTales from Earthseaを出した。


これは911の影響らしい。


ゲドとアレンが会った後にクモが網を張っているのを眺めて、其処から人の織り成す運命を読むみたいな描写があるんだけど、毛唐と違って自然と生きているアジア人からすると、蜘蛛の糸のはりかたでの観天望気も知らないのか?などと思ってしまう。




また「アーム」は太古の言葉で始まりで、「オーブ」が終わりを意味するとかってゲドの言葉も、仏教的な阿吽真言を知ってる東洋人からすると、ゲドの肌の色がどうのってどの映像作品にも噛み付いてるル=グウィンだけど、結局、コイツも東洋や自然とかにかぶれたヒッピー的なアメ公にしか過ぎねえなとか逆に思う。


所詮、一人の人間に過ぎねえのに作家とかをマスゴミが持ち上げるせいで、やたらと買いかぶり過ぎなんだっての。


この巻も英雄物語ではあるもののトータル的にほぼ陰鬱な世界の終末みたいな話なので、俺は映画と同様に2度と読む気がしないんだけど、

文化背景の資料として外伝と当初はされたドラゴンフライだけ読んで。もうこの陰鬱な作品群との付き合いはオシマイにしようと思う。




で、1作目で「真の名」ってのをフォーカスして竜の使っている太古の言葉って風呂敷をこれでは広げ直してる形だが、

俺が想像するに元々はペンネームと本名みたいなものが元ネタで、仲がいいと本名を知らせたりするとかって環境だったのが、

この本の出た1972年てのはウォーターゲート事件発覚の年。

多分に名前が解らなくなり魔法が使えなくなってしまったアースシーは、ベトナム戦闘で国内は対立して荒れまくり、メデイアが持ち上げた人物が嘘だらけでクズだった事により、信頼というものが失われたアメリカの世相不安を反映したものだったのではなかろうか。


国内が分裂して国家元首がフェイクニュースを垂れ流してる現状のアメリカだったら、この本はまた売れたかもな?


まあ俺には不要だが。


あえて褒める所があるとすれば、ドラゴンの外観や挙動、雰囲気の描写が少し良いって事かな。

動く事で金属音っぽいものを出す、光沢をもった姿はカッコイイ。

それを台無しにしたパヤオ七光りのゴローはパヤオに絵が下手だって言われるまでもなく演出力も原作を台無しにするレベルでダメって解る材料にはなる。


読解力もオマージュも無いのなら原作モノやるんじゃねえ!




posted by wolf_howling at 06:09 | Comment(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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